>>973
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒14:8-28です

イエースースが沈黙しているのは、
1.自分は正しい事をしているという自身
2.神の介入があって、自分は救われ、正しい裁きがなされる
と信じていたからだとおもいます。
勿論、不安はありつつも、神を信頼してより頼みすべてを委ねられているからではと。

29節から32節の悪口は、受難物語を肉づけるために当時の語り手によって話された
内容でマルコはこの場面でそれを採用したそうです。
28節が[]内なのは、12C写本の挿入だからです。
章節が付加された16Cは、12C写本全盛期でビザンティン系写本が本文採用されていたのです

杭に打ち付けられて処刑を待つ状態の者が、他人を罵る余裕はないだろうと思います。
なにせ腕か手首を釘打ちされている状態です

ガリラヤから従って来た女性たちと逃げた使徒たちというのが
マルこの提示する『事実』です。
使徒たちは三度イェースースを否んだ。女性たちは従った。

偉そうに使徒と自称するが、あなたたちは逃げましたね
付き従ったのは女性たちですよ、と。15:47,16:1にも繰り返されます

宗教の主人公はいつの時代、地域でも女性です
釈尊は女性の出家を拒絶しましたが、弟子のアナンダの進言があり
受け入れたことになっていますし、娼婦から接待も受けています。
女性が信仰を支え担う主体なのです。