>>986
先生が読み取ったマルコのメッセージは、イエス死後エルサレムで権威を持った弟子たちが
イエスの「正統な」後継ではなく、最後までイエスに付き従った女性たちこそ
イエスの教えに最も忠実であった、というようなことでしょうか

さて今日からは伝道の書(コヘレト)ですね
箴言のときにも書きましたように、わたしは聖書を最初読んだ時、最も感銘を受けた書のひとつが
このコヘレトでした

おそらく感銘を受けた最も大きな理由は、一見仏教かと思えるような諸行無常の響きです
もちろんこの世の無常を語りはしますが、そこは聖書、最終的には神への信頼、無常ではない
常なる神へと収斂していく価値観が根底にはあるので、仏教とは大きく異なりますが
他の書とは趣きが大きく異なるこの書に魅了されたのは、この世の無常を正面から取り上げたことに
その理由があるように思います

第1章の冒頭からいきなり「空の空、空の空、いっさいは空である。」と出てきます
また繰り返し、「これもまた空であって、風を捕えるようである。」と語られます

もちろんここで言われる「空」は仏教的な空(実体なき関係性)といった抽象的・哲学的な意味ではなく
風を捕らえるように虚しいものであり、捉えどころがなく、確固たる価値もなく、
確実性もない、といったような意味だと思います

労苦も知恵も快楽も財産も、捕まえたと思ったら、さらりと手の間をすり抜ける風のようであり
虚しいものだと伝道者は語ります

ということで、繰り返し語られるこの「空」は原語ではどのようなことばなのでしょうか?