>>98-99
生きているクリスチャンはそのまま救われると考えているのに
実際にすでに死んでしまったクリスチャンがいるため
説明が矛盾したものになってしまっている、っていうことですね

やはりここでも背景には、生身のイエスを知らないパウロに対する
コリント教会員の側の不信があってそれに対する反駁として
間接的に論を立てようとするために、読みにくいというか、おかしなことになってしまっている
という感じですかね

さて6章ですが、ここもまたパウロらしい対比的でレトリカルな文章構成になっているように思います
要は世の価値観から見れば、クリスチャンは不遇にあるようにみえるけれども
実際は大いに神の恵みに与っているのだ、と述べているようです

ここでパウロの言いたいことは、おそらく11節から13節の、自分を広い心で受け入れよ、ということ
なんでしょうが、ともかくそのあとの不信者と信仰者、キリストとベリアル、上の宮と偶像といった
二元的な対立軸が目についてしまいます

この章で気になったのは1-2節です

1節目で神の恵みをいたずらに受けてはならない、と忠告しているのに
2節目では今こそ恵みのとき、救いの日と言っています
矛盾とまでは思いませんが、この2つの節の脈絡がよく分かりません
今は恵みのときなのだから、これまで以上に注意して精進せよ、とか言うならまだ分かるのですが