>>103-104
「あの手紙」に関しては、各種コメンタリーは2章4節に出てきた「涙の手紙」を指していると
解釈しているわけですね
すぐあとの2章6節で「処罰」に言及されているところからもある程度妥当性はあるように見えますが
あくまでも一致しているのは「手紙」ということと「処罰」ということだけなので、説得力があるとまでは
言えないような気がします

対して

> 「あの手紙」(8節) コリントス教会でお金をくすねるという事件が起こった際に
> パウロス先生が手紙で赦してやれと口出し、コリントス教会が大混乱し紛糾した事件
> 「あなたがたを悲しませた」(8節)のは、パウロス先生のアドバイスが頓珍漢だったため。
>
> 「処罰」(11節)、「あの問題」(11節) 横領した者をパウロス先生のアドバイスを斥けて
> 処罰したあの問題の事。

という説は私には出どころが分かりませんが、内容的にはこれまでのパウロの手紙から
垣間見えるパウロの性格には合致しているような気がします

さて休日分はどうやらアクラとその妻プリスキラに関する箇所のようです
コリント、エペソでパウロに同行し、パウロを助けたという記述のようですね
ローマ人への手紙を読んだときには流してしまいましたが、ローマ16:4では
この二人はパウロの命を救うために「自分の首を差し出し」たと書いてあります
これはパウロの身代わりになって捕らわれた、あるいは刑を受けた、ということでしょうか?