>>128-129
1節の口語訳は特定の解釈に基づく意訳になっているわけですね
たしかに「あなた方に対して書くのは、私にとって十分である」であれば
前章からの連続であってもおかしくはないような気がします

5節の「障害物」は「高慢」で、「処罰」は不従順に対する処罰ということですね

コリント教会ではパウロが生前のイエスを知らないことに対する疑念があって
それに対するパウロの反論というのが手紙の底流にあるため
「主に推薦される人」といったある種奇異な表現が出てきたのかもしれません

さて11章ですが、この章は5節にあるように、「大使徒たち」に対する対抗意識が強く出ている章だと
思いました

12-13節の「わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者ども」「にせ使徒」は
この大使徒たちではないでしょうが、パウロに対抗するような使徒たちなのでしょう

後半は今まで如何に自分が苦難にあってきたのかを「誇っています」
ここもまた23節にあるように「彼ら以上に」キリストの僕として苦難を経験してきたことを
切々と訴えています

こういったところからも異邦人への伝道が、かならずしもパウロ派によるものだけではなかったことが
わかりますね