>>138
> つまりペテロは信仰を行動によって証ししていたわけです。

なるほど、行為ができなかったヘタレのペテロが果敢に行動によって信仰を証しするまでになった、
と解釈する教会の観点から、使徒のこの箇所とヤコブをつなげたってことですね

わたしは親鸞はよく知らないのですが、ルターは悪人正機説とよく似てるんじゃないかという
感じがします

善行を行えない悪人こそ一心に神(仏)にすがるしかないのだから
その信仰こそ救いの契機となる、罪人(悪人)は自分が罪人(悪人)であることを自覚するからこそ
直接的に救いの対象となる、といった感じでしょうか

かたや「恩寵のみ」、かたや絶対他力、と語られる表現は違っても
信仰の構造は驚くほど似通っているように思えます