>>142-143
実際にイエスから直接話を聞いた使徒の教えとパウロの教えの間に齟齬があるということを
背景に、コリント教会ではパウロに対する疑念が
1. パウロが出会ったキリストの真偽
2. エルサレム教会への献金強要
という2つの問題に集約されて問われた、ということですね

パウロはそれを有効に説明できなかったために強圧的な口調になっている、と

パウロのキリストに対する神学的解釈は今日のキリスト教の礎を築くものですが
同時に具体的な倫理観については偏狭な教えを残してしまった側面があるわけですね

さて今日からは雅歌ですが、これはちょっとえっちい本ですよねw
最初に読んだときは、なんで聖書にこんなえっちい本が収録されたんだろうと疑問に思いました

ぶっちゃけて言うと、男女がお互いの容姿をエロく賛美しあっているだけの恋歌集のように感じました
ただ途中で主役の男女以外の人の発言も入ってくるのでちょっと混乱します

1章で印象に残ったのは6節で、乙女の側が日焼けを恥じているところです
イスラエルでも女性は白い肌が美しいという価値観があったんだなあ、と

2章は冒頭、「シャロンのばら」が出てきますが、シャロンさんは自分のコテハンをここから取ったんでしょうかね

2章で印象に残ったのは若く美しい人の容姿を喩えるのにかもしかや鹿が用いられていることです
これもまた文化を問わず若く美しい容姿の形容として使われることが多いんだなあという印象です

どうでもいいことですが、6節の「彼の左の手がわたしの頭の下にあり」の「頭の下」って
どこだか分かりませんw
顎の下のことですかね?