>>146-147
けっこう書かれた年代は新しいんですね
もっと古いと思ってました

花婿と花嫁を、神とイスラエルの民、あるいはキリストと教会のように解釈するのは
わたしもコメンタリーなどで読みましたが、普通の解釈としてはかなり無理がありますよねw
おっぱいとか出てくるのに、どうすんだ、とw

ただ雅歌の元の意図を離れ、いわば創造的解釈として
信仰の観点から寓意的に解釈するのはありだと思います

先生が挙げた女性クリスチャンの例はよく分かるような気がします
ピッピさんもキリスト信仰がキリストとのエロティックな関係と重なっている時期がありましたね
このように女性信者にとっては教会的解釈は比較的受け入れやすいのかもしれません
男性はおっぱいのところで躓くと思いますw

テキストの本来の意味という点ではハーパー注解の言うとおりだと思います

「頭の下」については目からうろこでした
完全に立った姿勢を思い浮かべて考えていたので、いったいどこなんだろうと思ってましたが
なるほど横になった姿勢であればたしかに後頭部ですね

さて3-4章ですが、3章はなんのことやらわけが分かりません
とりあえず意中の彼になんとか出会って母の部屋に入り、これから事に及ぶのかと思えば
5節では彼は寝ちゃったんですか?

しかもそのあとはソロモン王が出てきて、いったい何のつながりがw

4章は花嫁を様々な比喩で賛美しまくってる章ですね
途中(9節)から呼びかけが「わが妹、わが花嫁よ」となってますが
花嫁を妹に喩えているのでしょうか?