>>156
想像するにそのショールという単語は例えば「へこみ」くらいの意味で
エゼキエルではそれを臍の意味で使用していたのかもしれませんね

それが雅歌では女性の陰部の婉曲表現として用いられたのかもしれません
雅歌の文脈で臍と解するのは「混ぜたぶどう酒を欠くことのない」という箇所が
意味不明になってしまって、あまり説得力がありませんからね

おっぱいのところは兄たちと妹のやりとりが可愛いですね
「お兄ちゃんたちは私のことまだ子どもだと思ってるけど
もう私だって立派な大人の女なんだから!」ってことなんでしょう

さて休日分は列王記で、ダビデのソロモンに対する遺言と、その後のソロモンの知恵のエピソードですね

ソロモンが神に財産や長寿を求めずに民を公正に裁く知恵を求めたこと、その知恵が
適用された具体例が3章の内容になってますが、なんといってもその具体例である
ソロモンの「大岡裁き」が有名です

我々がよく知っている大岡裁きはおそらくはこの列王記のエピソードが時代や文化の違いを経て
伝わってきたものだと思いますが、元のエピソードではソロモンが子どもを半分に切り裂け、と
かなりえげつない命令を下します
もちろんソロモンははそんな気はさらさらなく、ふたりの女性の反応を見るための命令なのですが
この点は子どもを両方から引っ張る大岡裁きのほうがスマートなエピソードになってますね

いずれにせよ、我執よりも子の身を案ずる母親の情を巧みに利用した裁きということで
よくできたエピソードだと思います