>>14
11節の御霊は、単なるプネウマ、霊です。聖霊とはまた別です。
ここの論旨のポイントは、「知る」にあります。

口語訳は
「いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか」と訳しますが
原文に「人の思い」はなく「人のこと」です。
人のことを知っているのは、人のプネウマだけである とまず論じますが
この「知る」は普通の知るである「オイダ」です。
次に「神のこと」を知る「神のプネウマ」の「知る」についてパウロス先生は動詞を変えています。
そして時制も現在から現在完了形にして、
「神のプネウマ以外に(過去から現在まで)誰も認識(ギノースコー)しなかった」と
論議を進めています。

で、この場合のプネウマは精神という意味の霊です。
プネウマは多義的ですが、霊と訳される婆も、ほぼ精神という意味です
霊的というのは精神的というニュアンスなのです