>>163
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はガラティア3章です。

パウロス大先生は、救済論において、救世主=クリストスとして、
天使を超える神に次ぐ存在として認識されていたのでは?
そこのキーは、十字架という贖罪論です。

「にせ兄弟」は、クリスチャンになりたいのであれば、割礼を受けなさいという
普通のユダヤ人のことですね。ユダヤ派というか、唯一神との契約関係に入る
入信儀式が割礼なので、当然の要求です。
割礼をしなければ、唯一神を信じない罪人である異邦人のままなのです。

2:16人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、
ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、
わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。

16節の「キリスト・イエスを信じる信仰」の原文は
「ディア ピステオース イエース― クリストオー」です。
直訳すれば「イエース―ス・クリストスの信仰によって」です。

さてピスティスは「神のピスティス」という表現をパウロはしていて
この場合は「信仰」と訳されず「真実」とか「信実」とかと訳されています。
元々ピスティスは銀行用語で、「信用するに価する」という意味です。
金を貸してもちゃんと返してくれるほど借り手が誠実で信頼できるということですね
それを人については「信仰」と訳すわけですが
神やクリストス相手の場合は「信仰」では困る事になるのですね