>>177
6節の愛は神の愛ということですね
新共同訳では「働く」の取り方が信仰ではなく、愛の「実践」という形で置き換わっているようですね

さて列王記の箇所ですが、ソロモンが神殿と宮殿を建て、主に祈りを捧げる箇所ですね
建築の詳細はテキトーに読み飛ばしましたw

注意を引いたのは8章の契約の箱をソロモンの運びいれば後のソロモンの祈りです
非常に素朴な祈りですが、46節に「人は罪を犯さない者はいない」とあるとおり、
ユダヤ教においてもしっかりと人間の不完全さが意識されています
そして罪に気づき悔い改めたらその祈りを聞いてくれ、と続きます
素朴な形ですが、ここにユダヤ教からキリスト教を貫く罪と悔い改めの祈りの雛形が
現れているように思いました