>>184
ご無事でなりよりです
それでもフェンスはやられちゃったんですねw

さてガラテアもいつの間にか最終回になりました

最終章では特に奢りや見栄について注意を促しています
14節のキリストの十字架以外に誇るものがあってはならない、というのがその要約かと思います

今回気になったのは7節から10節あたりの善行のすすめの部分です
善行を勧めること自体はこれまでのパウロでもありましたが
ここでは善因善果、悪因悪果と思われるような因果を説いています
特に注意を引くのは、この流れの中で8節の「霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」と
いう箇所です

ここだけ見るとまるで行為義認のように見えますが、これまでのパウロの主張との整合性を考えると
パウロは律法と信仰は鋭く対立させますが、信仰と行為は対立ではなく随伴関係にあると考えているように
見えます

13節にあるように自分を誇るための割礼といった形骸化した行為に対しては鋭く批判しますが
信仰の実となるような行為はまさに信仰の現れとして考えているため8節のような言葉が出てくるのだと
思いました

疑問に思った箇所は16節の「神のイスラエルの上にあるように。」という祈りの部分です
手紙の相手はガラテアの教会のひとであるのに、そして割礼のあるなしを問わないと言ってきたのに
なぜここで特にイスラエルを取り上げて祈っているのでしょうか?