>>185
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はイザヤ1-2章です

16節の「この法則に従って進む人々」は、つまりキリスト教徒のことですが、
パウロス大先生は、キリスト教徒に「平和とあわれみとがあるように」ち祈ります。
そして、
「神のイスラエル」、つまり割礼の奴隷となっているユダヤ人にも
「平和とあわれみとがあるように」と付け加えたのです。

教会は、ここをごまかしたくて、
前者をがラティアのキリスト教徒、後者をキリスト教会全体などと解釈したりします
あるいは、前者と後者を同じものである、キリスト教徒であると解釈します

さて、なぜか。
パウロス大先生はごりごりのユダヤ主義者だからです。
まず救われるのはキリスト教徒ですが
救われる本流は、ユダヤ人なのです。神から決して見捨てられることのない
特別な民族という思いが根っこにあるので、付け加えてしまった。
民族愛というか、思い上がりが最後にポロっと出てしまったのです