>>186
イスラエルをキリスト教徒や教会全体の象徴とするのは
明らかに唐突で無理やりな解釈に思えますね
わたしもここはそのままイスラエル(ユダヤ民族)を指していると思いましたが
なんでいきなり、という感じで違和感がありました
ここもまたパウロの本音が出てしまったんだろうということですね

さて今日からはイザヤ書ということですが、また重たい書なのに2章ずつですか…
なんとか頑張ってみたいと思います

さてまずは1章ですが、もうユダヤ(ユダ王国)のことをボロクソにこき下ろしてますね
この章で感じたのは、神が極めて感情豊かに「人間味のある」語り方をしている、ということです
もちろんイザヤの口を通してなので、神のことばとはいえ、多少なりともイザヤ本人の感情が
入っているということにはなるんでしょうが、実に人間的な語り方になっていると思いました

この章での質問は8節に関するものです
「シオンの娘」が「ただひとり残った」ということは、ユダ王国も外国人に蹂躙され
ただエルサレムだけがなんとか耐え残ったように読めます
これは実際いつのことを指しているのでしょうか?

2章は打って変わって終末予言になってますね
この章ではなんといっても4節の美しい表現が目に付きます
「こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」
まさに人類の理想の姿と言ってもいいものだと思います

ここで気になったのは9節です
「どうか彼らをおゆるしになられるように」と来るかと思ったら
「おゆるしにならぬように」と来ましたw
どうもキリスト教の祈りモードが頭にあったらしく、罪人の赦しの流れで読んでしまいましたが
ユダヤ教の神様は当時の厳しい民族情勢を反映して、バンバン人殺しますからねw