>>191
そういえばヘブライ語は基本的に子音字だけで母音記号はマソラ本文での解釈になるんでしたね
母音の補い方で変わってしまうことがあるので、ただでさえよく分からない文章が
さらに意味不明になることもおおいんでしょうね

現代ヘブライ語で書かれた新聞なども母音記号はないと聞いたことがあります
慣れれば読めるらしいですが

17節はぜいたくな生活をする女性たちの高慢を批判しているってことですね
「ひとりの男」はメシアと解釈されることが多いものの、やはり解釈は定まっていないみたいですね

さて5章は神や預言者のことばを侮った奢れるイスラエルの民に、神が容赦なく責め苦を与える、と
いった内容のようです

特に26節以降はおそらくはアッシリアや新バビロニアのことを言ってるんでしょうが
このへんはもうヘブライ語聖書ではおなじみの、神から離反したイスラエルの民が
神が送った外国人によって懲らしめられる、ってパターンですね
ユダヤ教は民族的苦難の原因を民の神からの離反に求め、その苦難によって悔い改める、と言うかたちで
罪と悔い改めのループを繰り返しているように見えます

6章はイザヤが神に預言者として召命される場面ですね
気になったのは召命時、イザヤは神殿の中にいたらしいことです
イザヤは神官だったのでしょうか?

この章で注目したのは9節以下の神の命令です
要は民が悟らないようにせよ、悔い改めないようにせよ、という命令ですが
このパターンは創世記だか出エジプト記だかのパロでも出てきたと思います
神がわざわざ人の心を頑なにしてしまうやつです

これは事後的なこじつけなのでしょうが、いくら懲罰のためとはいえ、神が敢えて民の悔い改めを
阻止したうえで、罰するという自作自演に思えて仕方がありません
こんなんでユダヤの民は納得するんでしょうかね