>>193
単純に神殿には神官でもなければそうそう簡単には入れないだろうということで
神官だったのかもしれないと想像しましたが、そうとも限らないということですね
イザヤの場合、神殿において見神というか、ある種の神秘体験をして
預言者となっていったって感じですね

民の心を頑なにした理由は、捕囚の経験をなぞってるわけですね
捕囚の経験をユダヤ教の文脈で解釈すれば、多くの民がユダの地を追われ
囚われの身になったのは神に背いたからであり、ヤハウェに忠実なごく一部のみが
救われる、という急進的な唯一神教が、捕囚の経験に神学的合理性を与えた

そして神に従わない民を神の全権の下で解釈すると、単に民が神から離反したというよりも
神が民を頑なにした、と考えたほうが唯一神としての絶対的な神の力をよく表していると
感じられたのかもしれませんね

さて7章ですが、スリヤの王がエフライムと組んでユダに攻め上ろうとしている、という場面設定から
イザヤのアハズに対する進言というか預言が語られますが、このスリヤというのは最初アッシリアのことか
と思いましたが、8節から今のシリアの地域のことであろうと思います
エフライムは北イスラエル王国のことでしょうから、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされる前のことで
北イスラエルが異邦の国と組んでユダへ侵攻しようとしたということなのでしょう

このときのイザヤの預言は、それを恐れるな、ユダは滅ぼされることはないという神の言葉ですが
そのしるしとして、かの有名な14節の「おとめが身ごもって男の子を産む」ということばが語られます

この「おとめ」をめぐっては散々言われているように若い女くらいの意味で必ずしも処女を表すわけではない
のに、七十人訳でそれがパルテノス(処女)と訳されたことから、まさに処女懐胎の聖書的裏付けとして
しばしば引用されるところですね

8章はその続きで、スリヤ(ダマスコ)と北イスラエル(サマリヤ)がアッシリアに滅ぼされ
さらにはそれがユダにも及ぶ(8節)というような預言ですね
わからないのはその後の「その広げた翼」がインマヌエルの翼なのかアッシリアの翼なのかです
つまりはユダにとって、救いの翼のことなのか、滅びの翼のことなのか、どちらなのでしょうか?