>>196
ヘブライ語聖書の場合、そこで使われている語句の意味範囲を正確に推定できるような
聖書外的文献資料がほぼ存在しないので、新約聖書よりはるかに解釈が難しくなりますね
おまけにヘブライ語聖書は作成・編集過程が長期にわたっているので時代的な意味の変遷なども
あるでしょうから、本当に解釈は難しくなると思います

そういうわけで原語のアルマーに「処女」を含ませる意図があったと推定することも
できるのかもしれませんが、仮にその意図があったとすれば、処女懐妊というのは
異常なことですから、おそらくもっとそれを強調するような表現や追加の文脈があったであろうと
想像します
それがないということは、やはりそういった意図はなかったのではないかと思います

「広げた翼」の部分は神のかごとも外国の侵略とも解釈されているのですね
インマヌエルが直近に出てくるので文脈を無視して受け取ればインマヌエルの翼のように
読めますが、文脈を考慮するとそれはやはり唐突な印象がありますので
わたしも外国の軍隊による侵略の意ではないかと思います

さて休日分はソロモンが外国の妻や妾に影響されて異教の神々に心を傾け、ヤハウェから離反して
いったという部分ですね

正直に言って、この箇所は完全に北イスラエルと南ユダの分裂(史実的には元から統一王国と
いったものはなく単にユダヤ民族のふたつの王国であったかもしれませんが)を宗教的に
解釈して編纂された箇所だと思います

5節や7節で見られる「憎むべき」という異教の神に対する形容などに端的に伺われるように
ユダヤ教保守派による「歴史」記述ということなのでしょう

ヘブライ語聖書はものすごく単純化して言うと、ヤハウェとユダヤの民の契約にまつわる物語に
なってますが、現実のユダヤの民は他の民と同様、必ずしもひとつの神に中心化された宗教を
奉じ続けたわけではなく諸々の歴史的変遷があったはずだと思います
それを保守派の観点から解釈すれば、ヤハウェに対する忠信と離反を軸として
歴史を説明するということになるのでしょうね