>>16
11節は御霊は聖霊じゃないんですね
原文に従うと「人のことはその内にある人間の霊(精神)以外に誰が知っていようか。
同様に、神のことも神の霊(精神)以外に誰も認識したことはなかった。」って感じになるわけですね
まだこの神の御霊と聖霊の違いがわかりませんが、とりあえずパウロ的には一つの独立した位格
としての聖霊を想定して書いた文ではない、ということですね

>>17
コリントの信徒のなかには、パウロはそもそもイエスの直弟子でもないし、直弟子から薫陶を受けた
わけでもないのだから、あまり信用できない、と思うような人たちがいて、それに対して2節でパウロは
反論したというか、開き直った、みたいな感じになるわけですかね

さて1コリ3章ですが4節までは、信徒たちを霊的に未熟なものとして扱っています
派閥争いをしているようでは肉の人ではないか、と

それに続いてパウロにもアポロにもその他の人にもそれぞれの役割があるだけで
大事なのは霊的に成長させてくださる神のみである、と繰り返します

13節から15節までで語られている「かの日」というのは最後の審判の日のことですか?
かりにそうだとすると、15節がよくわかりません
仕事が焼ける(信仰の実が実らない、不実である等々であることが判明する)とすれば
その人は救われない、となりそうなもんですが、ここでは「火の中をくぐってきた者のようにではあるが、
救われるであろう。」と言っています
ここはどういう意味なんでしょうか?