仕事が焼けてしまっても、伝道者は宣教に努力したのであるから
称賛は得れないが、とはいえ信仰者として救われるということです。
つまりパウロス大先生の仕事が焼けてしまって失われても、私は救われるという
へんてこな主張ですね。
まあパウロス先生のお仕事は土台として残って大繁栄しているわけですけど
彼の想像以上でしょう