>>37-38
2-3節の部分はダニエル書などにも類型があるんですね
12節がパウロの言葉で、かつ単純に自分には(使徒の権能として)すべてが許されていると
言っているのだとしたら、どう贔屓目にとっても傲慢の誹りを免れないように思います

さて7章ですが、ここは専ら男女関係(結婚や夫婦のあり方)についてパウロが教会員に
助言や命令をしている箇所ですね

この箇所は男女を対称的な(シンメトリカルな)形で論じていて
ことさら女性蔑視と取れる発言はないように思います
また一方的で強圧的な物言いもさほど感じられません

この章で目につくのは26節以下で述べられている終末の差し迫った到来です
26節や29節のパウロの言を読む限り、パウロは自分たちが生きているうちに
終末が訪れることを確信しているようです

1コリと直接関係があるわけではないですが、パウロが終末の遅延を自覚しだしたのは
いつの頃からなんでしょうか?
あるいは最後まで終末が遅延しているとは考えなかったのでしょうか?