>>45
1節の知識を諸訳は誤解しています。
コリントス教会の意見であるという風に解釈します。そして原文を改竄して訳します。
でもお気づきのように4節のことを指しています。
パウロス大先生は、かつてコリントスにおいて
「偶像の神などいない。おられるのは唯一の神だけなのだ。
故に偶像に捧げられた肉は、汚れていないので食べて良い。
いない神に捧げられていても、汚れようがない」というようなことを主張し
その解釈知識を真に受けたコリントスの人たちは、偶像に捧げた肉を食べていたわけです。

とろが、10節でかつて自分がした主張によって起こったいる事態について
制限を加える必要が出たわけです。
ユダヤ人が見たら、他教の神(偶像)に供えられた肉は汚れているからです。
自分が悪いのに、謝罪せずに、自分の知識は正しいが
「弱い者ために食べない。君たちも食べるな」と抑え込んでいるわけです。
ただ普通は肉を買って家で食べるので、神殿で食べるわけではないので
パウロス大先生のこの仮定はありえない極端な仮定です。
ということまで言って11節で弱い人が滅びるとまで主張します。
偶像の神なんていないのになんで滅びるねんと突っ込みたくなる展開です。

ということは4節を知識としてパウロス大先生は、コリントか教会で披歴したが
本音はなにがなんでも偶像に捧げられた肉なんて不浄で食べられるかという
宗教的感覚をエルサレム教会の人たちと同様に共有感覚として保有されていたのかもです
理屈としては汚れてないけど、食べる気はしないというのが実の所かもです