>>46
英語の man の場合だと、元来のゲルマン語の段階では人一般を表していたようです
それが後期古英語あたりから成人男性を意味するようになり、人一般の意味も存続していったようです
ゲルマン諸語やロマンス諸語では、このように、人一般を表す語が成人男性に特化して使われるような
経過をたどるようですが、他の印欧語はそうでもないみたいですね

ともかく現代英語で言えば、man(原則「男性」、古風な用法として「人」)を使うべきところで
パウロは human (being) を使ってるようなものなのですね

>>47
ここはめちゃくちゃよく分かりました
偶像の神などいないのだから、それに捧げた肉を食べたところで無問題、というのがパウロの言う
正しい知識で、それを真に受けたコリント教会の人たちがガツガツ肉を食うようになって
コリント教会の一部のユダヤ人たちと軋轢を生んでる、って状況ですね
取り決めではユダヤ人に配慮して偶像に捧げた肉は食わないようにしようとなっていたのに
パウロは食っても平気と言ってしまったものだから問題が生じ、自分は正しいが弱いもののために
お前らも食うな、と言ってるわけですね
そこに無理やり筋の通らない「食ったら滅ぶ」的な言い方をしたものだから、よく分からなくなってたようです

さて休日の使徒の箇所ですが、ここはパウロがアテネのギリシャ人たちにユダヤの神とキリストを
説法する箇所ですね

ここで言及される「知られない神」は多神教のギリシャ的宗教では、おそらくマイナーで知名度の低い神
あたりを指しているのだろうと思いますが、パウロはそれを利用して異邦人には知られざる創造神を
解いていくわけですね
なかなかうまい手法だと思います
もうちょっとギリシャ人たちの反応、特に反論した人たちの反応を詳しく記してくれたら
一神教対多神教の議論として面白かったのに、と思います
偶像崇拝否定の論脈はそれなりに説得力がありますが、やはり31節のようにいきなり
死人の蘇りを持ってきても、ここはなかなか信じてもらえなかったでしょうね