>>53
9章はパウロの批判者に対する弁明ですね

前半は福音を宣べ伝える仕事に対しては食物等、物質的な対価があってしかるべき、という調子で
書かれていますが、15節からはそういった当然の権利を自分は利用していないし、物質的な対価を
もらいたいとも思っていない、と断言しています

パウロはなぜ福音を宣べ伝えているのかの理由を「そうせずにはいられないから」と述べています
さらに18節ではその報酬を「無代価で提供し、宣教者として持つ権利を利用しないこと」と言ってますが
これは対価(報酬)になるのでしょうか?
もっと素直に福音を宣べ伝えること自体が喜びである、とかそういった言い方なら
たしかに報酬と言えると思うのですが、パウロの述べる報酬はとても分かりにくいです
23節では明示的に報酬ということばは使ってませんが、「わたしも共に福音にあずかるため」と
理由を述べています
おそらくこれがパウロの本音なのではないかと感じます

27節は節制を説いた上で、説いた者の立場として自ら率先して節制する決意を表明しています
こういったところは感服します
自分にはやれと言われても、できませんから