>>58-59
民数記だけじゃなくて出エジプト記もネタ元になってるんですね

食に関しては自由だという理想論を説きつつ本音としては
偶像に捧げられた肉を食えば悪霊(異教の神霊)の仲間になってしまうと思っている、ってことですね
そういった矛盾した言説が交錯するため、パウロの主張は読みにくくなっているわけですね

さて11章が前半で男女の神学的相違を、後半で聖餐について論じています

前半はパウロの女性蔑視や男女のステレオタイプを示す発言としてよく取り上げられるところですね
3節の「神→キリスト→男→女」という序列を示す発言や5節の女は覆いを被れという発言など、さらには
14-15節の男女による長い髪の相違などがその典型だと思います

8-9節の女は男から出た(男のために造られた)というのは明らかに創世記の記述を下敷きにしていると
思われますが、10節の「だからかしらに権威のしるしをかぶるべき」という結論がよく分かりません

後半は聖餐はキリストの血肉をいただくものだから、それをふさわしくないままで飲食する者は
キリストの血肉を犯す者だと言っています
気になったのは30節です
主のからだをわきまえないで飲み食いすることが原因で、弱いものや病人が大勢いると
言ってますが、これは病はその人の罪のせいではないと言ったイエスの発言と矛盾するように思います