>>67
鏡の一大生産地ということは、古代でも最も良質な鏡が作られていたのでしょうね
それでも「おぼろげ」にしか映し出せなかったというのは、ちょっとした発見です

さて休日分の使徒はエペソでのパウロの伝道の様子を記した箇所ですね

イエスやパウロの権威を示すためのエピソードが中心となっていますが
わたしにはこの箇所はほとんどが作り話のように思えます

まずエペソの人たち(ある弟子たち)はイエスの名ではなくヨハネの名によって
洗礼を受けていたということですが、ユダヤならまだしも小アジアで洗礼者ヨハネ教団の洗礼を
受けて、なおかつキリスト教の洗礼を受けていない、というのが考えにくいと思います
キリスト教は異邦人の地へ宣教していましたが、洗礼者ヨハネ教団が異邦の地へ宣教していたとは
聞いたことがありません

また、まじない師のエピソードではまじない師とイエス、パウロを対比する形で
悪霊の口からイエスとパウロの名を語らせ、それらが畏怖すべき存在であることを
匂わせていますが、これはキリスト教が魔術に取って代わったことを印象付けるための
ご都合主義的なエピソードとしか思えません

エペソはアルテミス信仰が盛んな地であったと思いますが
そういった地であるからこそ、このようなエピソードがキリスト教の勝利を印象付けるために
語られたのだという気がします

実際のところ、パウロたちの時代のエペソでのキリスト教普及率はどのようなものだったのでしょうか?