>>76
atheidtくん、おはようございます。本日の聖句は1コリ16章です。

ここでパウロス大先生は、本論である、「誰から使徒に任じられた」のか証拠を示せ
という論題と、コリントス教会員らが、死人の肉の復活を否定していたことを絡めて
目撃者がいるから事実だという主張を展開しています。

しかしイエースースの復活自体は事実では無くて、教会の創作話です。
とはいえ十二使徒への復活は福音書に伝承されていますから、コリント書より30年後には
教会の共通認識にはなってましたし、この時点でもそういう主張があったのでしょう。

さて500人は、使徒2章のペンテコステを指しています。
ここの記事にはイエースースが弟子たちに現れたという説は書かれていませんが
聖霊がそれぞれに下り異言で喋り出し、それに驚いた人々が3000人ほど入信したとあります。
この出来事を以て、パウロス大先生は500人に現れたと主張しているのでしょう。

義人ヤコブに現れたという事実もありませんが、エルサレム教会のボスも復活の目撃者だと
パウロス先生は主張し、最後に他の使徒たちにも現れたと述べています。
12使徒以外の使徒は知られていませんが、いることにして、その上で自分にも
最後に現れたのだと主張します。
本論はここです。自分に主イエースースが現れて、自分を使徒に任命したのだと弁明している
わけです。
勿論、そういう事実はありません。
とはいえ使徒22:12-21では、夢うつつ状態に主から異邦の民に遣わされたことになっていますので
パウロス大先生の主観的認知では、使徒であったのでしょう。
ただ誰も彼を使徒と認めていたわけではないので
コリントス教会から、証拠を出せと求められていたのです