>>77
基本的にはパウロの使徒性を疑うコリント教会の人に対する反駁として
イエスの復活には多数の証人がおり、自分も復活したイエスに会って使徒を任じられた、
と主張してるわけですね

6節の「五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた」というのはパウロ以外に証言がないけども
使徒行伝に書かれたペンテコステの出来事を指し示しているのだろう、と

さて1コリも最終章の16章ですね

冒頭は献金のお願いというか命令、それに続いてパウロやテモテらの今後の動向、最後に若干の教訓と
挨拶で手紙を締めています

ここは取り立てて気になった箇所はないのですが、21節でパウロは「手ずからあいさつをしるす」と
書いているので、これまでの記述はパウロが後述したものを同伴者が代筆し、最後の部分だけ
パウロ本人が自ら書いた、ということですか?パウロは目が悪かったみたいなので
基本的には代筆に頼っていたということなんでしょうかね

強いて言えば、22節の「もし主を愛さない者があれば、のろわれよ」というのは
ある程度形式的な文言なんでしょうが、あまりよろしくないことばのように思われます