>>79-82
パウロに限らず、この時代の手紙は口述筆記が一般的だったのですね

「呪い」の部分が定型的な典礼文であれば、それを裏付ける他の文書がなければならないでしょうが
それがないということはパウロ独自の表現ということになりそうですね

さて今日からは2コリというこで、最初の1章目は、まあ挨拶みたいなものだと思いますが
15節以下でパウロのコリント教会行きの計画について語られているので
2コリがどういう状況で、かつどういう目的で書かれたものかについての質問です

16節を読むと、一応パウロはコリント→マケドニア→コリント→ユダヤという行程で
2度コリント教会に立ち寄る計画だったようですが、23節を読むとその計画を実行しないでいると
書かれています
コリントに行かない理由として「あなたがたに対して寛大でありたいため」と述べていますが
これはコリント教会に叱責に行くつもりだったが、自分たちで自分たちを矯正するのを待つ、という意味で
「寛大」と述べているのでしょうか?

そうだとすると、いったい今回は何が問題になっているのでしょうか?