>>84
なんだか複雑ですね
パウロのコリント行きと手紙の関係をどう想定するかで解釈が分かれてしまうということですね
ともかくも23節の「寛大」に関しては、叱責(懲罰)を猶予するという意味で捉えていいわけですね
「問題」となっているのは1コリで書かれたことで、これがまだ改められていないとパウロは考えていた
ということでいいのでしょうか?

さて2章ですが、焦点は6-8節なのだと思います
しかしその焦点となっている「その人」「彼」が誰で、かつ何をしたのかがわからないために
具体的な判断ができません

抽象的には何か問題を起こした人物がいて、多数の人から何らかの処罰を受けたのだから
もうその人を赦し、慰めよ、それが愛だ、ということなのだと思います

この人物が具体的に誰で、かつ何をして、どのような処罰を受けたのか、
ということは分かっているのでしょうか?

12節以降はトロアスに行ったときのことが書かれていますが、
その流れで15-16節で「救われる者」と「滅びる者」の対比が書かれています
ここでもパウロ的な二重予定説が背景にあるように感じられます