>>86
atheistくん、おはようございます。
本日と明日の聖句は
使徒16:1-5 Ⅱテモテ1;1-5 3:14-4:5です

本文中にある二度目を
1.行かなかったと解釈する主流派は、2コリ10-13章を別の手紙が挿入されたと解釈されます
2,二度目を行ったと解釈するとニコリは一つの手紙として素直に読めます。私はこちらの派。

「寛大」はいい訳です。直訳すると「遠慮しといてやる(みずからから反省しなさい)」です

パウロス先生は二度目に行ってボコボコにされてしまったので
三度目に行くまでに反省しろと激こうして書いているのです

5-10節は具体的なことが書かれていないので色んな推測がされています。
たとえば
エルサレム教会に対する献金をみんなで貯めていたが、ある人がそれをくすねてしまった。
パウロが全額ではないが一部を肩代わりにするので、みんなも愛を持って赦してやれと
言っているとか
逆にくするられた献金を教会員でもういちど積み立て直すと計画されているが
パウロス先生は金を出すわけではないが、全部でなくていいよ一部でよいよ
足りない分はパウロス先生の損失ということにしとけばいいよと言っているとか

新共同訳の略解も注解も具体的なことは書いてないですね
岩波委員会訳註は、手紙を受け取った当事者にしか不明
フランシスコ会訳注も具体的な事はわからないという立場です