>>92
古代では若くして子を生むことも多かったでしょうから
3代とは言え、それほど時は経過してなかったのかもしれませんね

さて2コリ3章ですが、ここは文字で書かれたモーセの律法と霊によるキリストの信仰を対比している
ように思われる箇所です
ただ例によってパウロの言い回しは直接的なものではないので、すんなりと理解できるものではない
ように思います

対比の表現として印象的なのは6節の「文字は人を殺し、霊は人を生かす」や
9節の「罪を宣告する務」と「義を宣告する務」などです

これは律法によって罪が罪として意識され、罪により死に渡される運命であったものが
キリストの贖罪によって罪から、つまり死から買い戻され、その信仰によって罪人は一転して
義と宣告される、といったことを述べているように読めますが、ここにパウロの旧約、新約という
契約の更新の認識が見て取れるような気がします

ただやはり言い回し的に判然としない部分が多いです
例えば13節から16節にかけて、モーセの契約に関して「おおい」がかけられており
キリストにあってその「おおい」が取り除かれる、といった類のことが語られます
この「おおい」とは具体的にどのようなことを言っているのでしょうか?