96年の中日打線
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5コールズ 率.302(513-155) 29本 79打点
6種田 率.178(107-19) 1本 6打点
4立浪 率.323(511-165) 10本 62打点
9パウエル 率.340(518-176) 14本 67打点 首位打者 最多安打
8音 率.265(275-73) 11本 41打点
7山崎 率.322(453-146) 39本 107打点 本塁打王
3大豊 率.294(462-136) 38本 89打点
2中村 率.271(376-102) 12本 37打点
1今中 25登板 14勝8敗 防3.31 翌97年はナゴドに移転して強竜打線が死亡(最下位) このころのショートってもしかして酒井やら南渕やら色々使ってた頃か? 立浪
種谷
パウエル
落合
大豊
宇野
仁村
中村
これはいつの頃? >>13
小森とかおったなそういや
思い出したけど神野もその辺かな 立浪が肩を負傷しショートからセカンドに転向
種田が台頭してきたかと思いきや長続きせず、李や鳥越も長くは定着できず
というわけで井端の台頭までショートで苦労してたのが中日や コールズ、パウエル→アメリカ人
大豊→台湾人
中村→韓国人
国際色豊かやね 90年後半〜00年前半はどのチームの打線も見ててワクワクする
(阪神を除く) 広島の野村、前田、緒方、江藤、ロペス、金本も良かったな 10年後ナゴヤ球場より遥かに広いウイング無し宮城で本塁打王になった山崎武司とかいう化け物 >>28
王会長からしても、二人の熱い一本足談義が、きのうのことのように思い起こされる。弟子がかけたアーチは277本。大豊さんは憧れの王会長が保持していた日本記録(当時)のシーズン55本塁打を目指し、背番号55を背負ったが、届かなかった。類いまれな馬力も目の当たりにしていたからこそ、もっとできたはず…という思いもあるのだろう。
「結果は残せませんでしたが、人間として素晴らしい、誠実な人間だっただけに、早すぎるご逝去は残念でなりません」 小森といえば94.10.8の最後の打者
そして脱税事件の主犯格みたいにネットで言われとったな カープって一文字苗字多いよな
音
高
畝
嶋
倉
梵
丸 >>33
矢野がいつ干されたんだよ
実力的に中村にまだ勝ってない使うなら抜擢するしかない
そして星野は中村を阪神へトレードしそれをやろうとしてたんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています