槇原「中途半端な投手じゃなくて、怪物に達成されて嬉しい」
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美馬レベルが完全してたら萎えるよな
8回完全から最終的に完封すらできなかったけど 佐々木が28年ぶりの完全試合!
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28年前に誰が達成したんや?
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槇原が儲かる 藤本英雄
1950年6月28日の西日本戦(青森)では蟹の食べ過ぎで腹痛を起こした多田文久三に代わって先発を務め、日本プロ野球史上初の完全試合を達成。藤本自身も前夜「青森での登板はないだろう」と判断して、函館から青森に移動する青函連絡船の中で徹夜マージャンに興じ、ほとんど睡眠をとらない状態で登板しての記録達成だった。しかし、この試合に新聞記者は4人いたがカメラマンがいなかったため、達成時の写真がないという華々しさが残らない結末となった
金田正一
1957年8月21日の中日戦(中日)では完全試合を達成。登板の前日に下痢を発症して体調を崩した中での記録達成であった。しかも、達成直前の9回一死で酒井敏明のハーフスイングの判定を巡って中日が猛抗議し、43分間の中断があったが、金田は全く動じなかった。再開後に対戦した2人の打者を共に全て空振りの3球三振に仕留め、大記録達成に花を添えた。再開時にベンチを出る際、金田はチームメイトに「あと6球で終わりや、帰り支度しといてや」と豪語したという[10]。
森滝義巳
翌1961年6月20日の中日ドラゴンズ戦では完全試合を達成。投球数113、外野飛球6、内野飛球1、内野ゴロ15、内野ライナー1、三振4の内容だった。なお、森滝自身はこの日に先発するとは思っておらず、前日12時過ぎまで六本木で飲んでおり、軽い二日酔いで球場に行っての記録達成であったという[2]。
槙原寛己
前々日に門限を破って中洲へ飲みに行ったところ堀内恒夫投手コーチに見つかってしまい、外出禁止解除を賭けて試合に挑んだということを槙原本人が語っている[4] ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています