これクソシビアな高田で草生えた
将来を嘱望されながら、近大入学直後に右肩を手術した。「終わった、もう野球を辞めようとも思った」。失意のまま手術室に向かう途中、麻酔でもうろうとする中で父の声が聞こえた。「先生、この子はプロに行く子です。もう一度、投げさせてください。先生、お願いします」。何度も、何度も繰り返す言葉が今でも頭から離れない。「意識が遠のく中でもハッキリと覚えている。絶対にプロに行かないといけないと思った」。アルプス席を見上げると2人で夢見た日を思い出す。
「超人」−。糸井の代名詞として広く浸透した言葉でもある。ただ、いまや日本を代表するスラッガーも、崖っぷちからの打者スタートだった。投手として自由獲得枠で日本ハムに入団。だが、制球難に苦しむなど1軍登板も果たせず、3年目、高田繁GM(当時)に呼ばれた。
「糸井くん、もうピッチャーでは使えないよって、笑顔で言われてね。野手をやってみないかと。1週間あげるから、これからどうするか考えなさいって言われたよ」
迷いはなかった。ただ、時間もなかった。「『野手なら2、3年見てくれますか?』って聞いたら、見ないと言われて」。投手から野手へのコンバートを決めた2006年、日本ハムの外野は稲葉篤紀、新庄剛、坪井智哉、森本稀哲…。そこには12球団屈指の顔ぶれがそろっていた。
大村巌2軍打撃コーチ(当時、現DeNA2軍打撃コーチ)が専属コーチになり、1日、1箱約200球のカゴ10箱以上は打った。両手のマメがつぶれ、汁が出る。それが固まるとバットが離れない。「手を開くと握れなくなるから、ずっとバットを持ってたよ」。夜、つぶれたマメを火であぶって固めた。痛みを少しでも和らげるために、バットを握ったまま眠る。朝起きて、そのままグラウンドに出る。そんな毎日だった。「超人」は不断の努力で手にした勲章でもある。
【悲報】日本プロ野球さん、球界が震える大型トレードが全く起きない
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132それでも動く名無し
2022/04/23(土) 01:45:28.92ID:So+TGhkj0■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています