>>478
インテリ青年が冤罪でぶち込まれてしまって~っていう物語の動線が作者による最初の状況設定にまずあって
彼がムショに影響与えていくこととかで話のエンタメ性キープしてたりどんなところにも知性があれば人間関係による恩恵があるってことを伝えたりしてるわけやろ
ほんでそれがどういう論拠によって不自然になるんや?
ほんでその活躍があるとなぜにムショからの脱出の感動が薄れるの?

繰り返しになるが
普通の人間はムショで多少他と違う立場にあっても
年来の脱獄計画が成功したら大喜びするし
そこにカタルシス見出せるぞ

死ぬほど日々虐待されるだけの人間が脱獄成功した方がいいと言うが
それはただ二つの事象との間の距離をわかりやすく作って落差を見せてるだけで作劇としていかにも単純単調に過ぎる
ほんで「ムショでうまく立ち回れもせずに日々虐待されるだけのやつ」はムショから出るための手立てを得たり長期的なバレずに計画を完遂させたりすることについてリアリティがなくなる
つまり「映画(物語)としての自然さ」はそっちのが薄まるぞ