>>400
宣戦布告文めっちゃ長いんやけど好きな部分は書き起こしてるからその部分だけなら紹介できるわ
原文の翻刻は省略して現代語訳だけやけど

(天正17年)1589年11月24日付北条氏直宛豊臣秀吉書状

秀吉が若輩の時分は、孤(みなしご)となって信長公の幕下に属し、身を山野に置き、骨を海岸に砕き、干戈(武器)を枕として夜は寝、朝から忠義を尽くし戦功に励む。
そうして君恩を蒙り、諸人に名を知られるようになる。これにより信長公より西国征伐を仰せつかり、大敵と雌雄を決する。
明智日向守光秀は無道ゆえ信長公を討ったが、この注進を聞き時を移さず上洛し、逆徒光秀の首を刎ね信長公の恩に報い、会稽の恥を雪ぐ。
その後柴田修理亮勝家は信長公の厚恩を忘れ国家を乱し叛逆するが、これまた退治するに至る。
この他にも諸国の反逆者を討ち、降る者は近付け、我が麾下に属さぬ者はなし。
特に秀吉の一言には表裏なく、これ故天道に叶ったのだろうか。
予は既に登龍揚鷹の誉れを天下に挙げ、則闕の臣(太政大臣)と成り、万機の政(帝王の政)を開かんとするに、氏直は天道の理に背き、帝都に対し悪だくみを企てる。
これでどうして天罰を蒙らないことがあるだろうか。
古い諺に、巧訴(詐)は拙誠に如かず(巧みに偽りごまかすのは、つたなくても誠意があるのには及ばない)とある。満天下の下、勅命に逆らう輩には一刻も早く誅伐を加えざるを得ない。
来年には必ず節旄(天子から将軍や使節に、任命の印として与えられた旗)を携え進軍して、氏直の首を刎ねる事は最早引き返すことの出来ないことである。