11歳で学校中退、MLB史上最年少で100セーブ到達もDV事件で転落…ロッテ加入オスーナの劇的すぎる半生
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ロベルト・オスーナ・クインテロJr.は1995年2月7日、メキシコ西海岸のホアンホセリオスで生まれた。
父はメキシカン・リーグで22年間も投げた元投手だが、オスーナの子供時代は農業を営んでいた。
生活は苦しく、オスーナ少年は11歳の時に学校をやめて家業を手伝うようになった。
野菜を収穫する合間に父から野球を教わったオスーナは徐々に才能を発揮し、16歳の時にメキシカン・リーグでプロデビュー。
直後に、契約金150万ドルという好条件でブルージェイズに入団した。
マイナーの階段を順調に駆け上がり、15年に20歳でメジャーデビュー。
その年、いきなりクローザーに定着して20セーブを挙げ、新人王投票では4位に入った。
2年目は36セーブ、3年目の17年はリーグ2位の39セーブを挙げてオールスターにも出場するなど、
オスーナは若くして球界屈指のクローザーとして台頭する。
18年4月10日にはフランシスコ・ロドリゲスを抜いてMLB史上最年少(23歳62日)で通算100セーブ到達という偉業を成し遂げた。 だが、それから1ヵ月もしないうちにオスーナのキャリアは暗転してしまう。
5月8日、当時交際していた恋人に暴力をふるったとして逮捕。
MLB機構から75試合の出場停止処分を受けた。
さらに、他の女性との間にできた2人の子供の養育費を支払っていないとして、母国メキシコで訴訟を起こされていたことも発覚。
若き天才クローザーのイメージは、あっという間に失墜してしまった。
出場停止期間中の18年7月末にアストロズへ移籍。
19年には38セーブを挙げて初のタイトルを獲得したが、20年は右ヒジの故障で長期欠場を強いられ、
オフにそのままアストロズを退団した。
彼ほどの若さと実績があれば、本来なら移籍先はいくらでもあったはずだがMLB球団からは声がかからず、
ここ2年は故郷のメキシカン・リーグで投げている。
DV事件で刻印された悪印象がまだ尾を引いていることはまず間違いないだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています