戦後1952年に当時の食糧難を解決する為に長崎県の諫早湾を埋立田んぼを作る計画を立てた

なんやかんやあって実際に着工されたのはバブル真っ只中の1989年(その時には食糧難は既に解決していた)
もう既に埋め立てる必要は無いのに色んな利権が絡んでいるせいで止められずにそのまま干拓

その結果魚がとれず海苔などが不作になり近隣の漁師達は失業
残ったのは使い道のない埋立地と環境破壊された湾