これ最近考えたけどどっちの言い分も分かるようになったわ

まずワイは「カメラ」なら基本的には上下左右反転派や
これは認識が「カメラ」だからや
例えばテレビスタジオとか映画撮影で使う三脚に乗った大きいカメラって手前にグリップ付いてるやん
グリップを左に押すと軸を中心にカメラは右を向くし下に押すと上を向く
「カメラの操作」となるとあの認識なので自然とその軸を想像してしまってるんや
でも同時にワイは操縦するもの(例えばシューティングゲームでの操縦)とかだと上下のみ反転派なんや
それは飛行機やヘリコプターの操縦桿を想像してるからやと思う
因みに操作対象が機関銃とかになるとやっぱり軸が発生するので上下左右反転となる
でも大砲とかになると反転したりしなかったりや
そこら辺はゲーム上での設定に委ねられるんや
例えばマリオ64の人間大砲みたいなのなんかは自分が軸になる典型なので殆どの人は反転しないのがしっくり来ると思う

人によって「何を操っているか」で感覚が変わるのは個々人でこういった自分なりの根拠があるからなんやないかなと最近気付いたんや
ゲームによってはこのオプションが疎かになってる事がたまにあってそれが自分の感覚と違ってた場合その度に気持ち悪く感じとったんやけどこの理屈に気付いてからは少しだけ寛容になった
寛容になったと言っても結局違和感が拭えないのが実際なんやけどな
ワイ的には「カメラなんだからこうでしょ!」って感覚があるけど人によっては同じ「カメラ」でも例えば手持ちカメラだったり自撮り棒みたいなのを想像する人だっておるはずや
その場合軸が自分なので反転という事が起こらない訳やん
理屈としては頷けてしまう(でも明らかにキャラクターを軸に回る三人称視点のカメラなのに反転しないのは納得いかない😠)