0001それでも動く名無し
2022/06/13(月) 12:50:37.44ID:MrFSDYpfd新庄が敬遠球をサヨナラ打したのが6月12日だった。まだ阪神の選手だった1999年。「伝統の」の冠ことばがつく巨人戦で、槙原から打った。発案者は新庄だ。敬遠されて「次は打ちたい」と願い出た。野村監督はこう言った。
「わかった。でも打ちたい時は必ずベンチを見ろ。指示を待て」。このやりとり以降、新庄は打撃投手に敬遠のような球を投げてもらい、飛びついて打つ練習を繰り返した。
実行するチャンスは、数日後に訪れた。新庄はベンチを見た。野村監督が許したのは、緩く投げるのが苦手な槙原が、大きく外せないのを見抜いていたからだ。
敬遠球は打たない。これはセオリーどころか常識だ。しかし、野村監督は常々こう言っていた。「固定観念は悪。先入観は罪」。奔放な新庄をうまく操縦する知識と度量があったのだ。
27歳だった新庄は、50歳のビッグボスになった。悔しいかな3バントの2ランスクイズを決められ、3日とも大幅に入れ替えたオーダーはつながった。わかったのは23年前の彼と変わらず、固定観念に挑んでいるということだ。
発想と度胸なら立浪監督もある。鵜飼、岡林、高橋宏を辛抱して使い、前言を翻すことを恐れず、根尾の可能性を模索する。チームを見ていて何よりも伝わるのは、コーチの進言に耳を傾け、そのほとんどを「思い切ってやれ」と承諾していることだ。
企業でもそうだろうが、上司にアイデアを突き返され続けると、多くの部下は心がなえる。「敬遠球を打ちたい」と言い出した新庄を相手にしない監督だったら…。ドラマが消えただけでなく、ビッグボスのその後の人生も変わっていたのではないだろうか。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」。これも野村さんが好んで使った言葉である。種をまいても、すぐには育たない。大切なのはなぜ負けるのか。何が足りないのかを追究することだ。負けるには必ず理由がある。