根尾自身も語っていたが、野手→投手で成功した例は少ない。3年あまりのブランクがあり、転向するには少し遅いのではないかという声もある。しかし根尾と同じ22歳での、球史に残る成功例がある。

 「大学時代の僕は野手ですよ。二刀流なんて言葉はなかったけど、自分が投手だなんて思ってなかった」

岩瀬仁紀さんだ。愛大ではベストナイン4度の外野手。チームの投手力が弱く3年秋から兼務はしたが、本人の感覚は100%野手。「外野手としてプロを目指していた」岩瀬さんが、180度方向転換した瞬間がある。

 4年秋。大学生活最後の試合で本塁打を放ち、リーグ記録にあと1と迫る124安打とした。9回1死満塁。次が岩瀬さんだった。打てばタイ記録。「絶対に打つ自信があった」。ところが目の前の打者が併殺に倒れ、試合は終わった。

 「野手でプロに行くんなら、記録というか何かをやった証しがほしかった。ああ、これをできないようじゃ、プロでもできないな。そう思ったんです。打席が回ってこなかったのも流れ。その前に打っておけば済んだ話なんです」

 凡打ではなく打席にも立てなかったのに、すっぱりあきらめた。僕のような凡人なら絶対に打者をやるが、天才の思考は違う。「野手の力量はわかったけど、投手は未知。極めたらどうなるんだろうと」。今の根尾と同じ大学4年の秋。岩瀬さんは初めて投手になった。入社したNTT東海でも1年目は故障で登板できず。ひたすら「陸上選手のように」走ると、2年目の春から一気に球速がアップした。

 「僕にとっては(投手転向は)屈辱であり挫折。悔しさしかなかった。でもね、選択は一つしかない。2人いたら…はないんです。根尾は(当時の)僕と違って150キロ出る。結局は自分の人生。どれだけ割り切ってできるかです」

 目の前の打者が併殺でなかったら…。どこかでもう1本打っていたら…。そんな投手が史上最多の1002試合、407セーブを挙げたのだ。人生の転機はどこにあるかわからない。だから根尾も岩瀬になれるとは言わないが、少なくとも22歳の挑戦は遅くはない。