死刑を感情論を抜きに肯定することは絶対にできないことが発覚
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
何かをどうにかしたいという考えは全て欲求から生まれている、すなわち感情論を持ち出さなければ二つの状態の良い悪いは決められない 全ての法律は感情によって作られたわけやからね
何が起きても「ほーん、で?」なら法律は作られない つまりなんGの無益さも感情論抜きには語れないんやな 社会契約説を最初に確立したトマス・ホッブズ、ジョン・ロックやカントなどの啓蒙思想家は、三大人権(自然権)である生命権と自由権と財産権の社会契約の違反(自然権 の侵害)に相対する懲罰・応報として死刑・懲役・罰金を提示している。死刑は殺人に対する社会契約説の合理的な帰結である。
人権を守るために法の下に行われる懲罰行為は犯罪者の人権を侵害するものであるがこれは法治国家に必要なのであり、国連の人権宣言でも法の下に行われる罰金刑、禁固刑、身体刑、死刑を否定してはいない。殺人(生命権の侵害)に対して執行される死刑は応報であり人権を軽んじていることには当たらない。特に大量殺人を行った犯人を死刑にしないことは不条理であるだけでなく被害者の生命権を侮蔑するものであり法の正義の精神に著しく反する。 感情論抜きに議論したい人ってもれなく感情的なんよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています