0001それでも動く名無し
2022/07/17(日) 01:29:12.48ID:P3qUirq0dテレビでも社会問題のように
取り上げられている。しかし不倫は不道徳な行為ではあるものの、犯罪ではない。他人の不倫に激しく怒る人たちは、どんな精神構造なのか。精神科医の片田珠美氏が、そこにある「不純な動機」を解説する。
世間の怒りには、不倫は「悪」だから許せないという倫理観だけでなく、それ以外の“不純”な成分も含まれているように思われてならない。
少なくとも、次の3つの成分が含まれているように見える。
1) 否認
2) 羨望=他人の幸福が我慢できない怒り
3) 怒りの「置き換え」
まず、不倫という他人の「悪」を徹底的に攻撃することによって、自分にはそんな「悪」などないかのようなふりができる。とくに誠実であるべき責任を分かち合う配偶者の前で、他人の不倫を攻撃すれば、自分には不倫願望のようなやましい欲望などないのだと自己正当化できる。
夫婦生活において大切な誠実さが、絶え間ない誘惑をしりぞけて初めて守られることは、既婚者であれば誰でも多かれ少なかれ経験しているはずだ。だからこそ、不倫願望を心の奥底に秘めていながら、我慢せざるを得ず、実行に移せない人ほど、他人の不倫を激しくたたく。
あるいは、自分が実際に不倫という「悪」に手を染めているからこそ、他人の同じ「悪」に敏感で、目ざとく見つけて攻撃する場合もあるだろう。
(中略)
いずれも、不倫という「悪」など自分にはないのだと否認するためにこそ、他人を責める。当然、後ろめたいところがあるほど、攻撃は激しくなる。いわば自己防衛のために他人を攻撃するわけだが、これは不倫に限った話ではない。
https://president.jp/articles/-/23070?page=2