このような激しい誹謗中傷を繰り返すのは、主に次の4つの心理によると考えられる。

1) 正義は我にあり
2) 羨望=他人の幸福が我慢できない怒り
3) 鬱憤晴らし
4) 「みんなやっているのだから」と罪悪感を払拭

 まず、木村さんへの誹謗中傷を繰り返した“アンチ”と呼ばれる投稿者は、1) 正義は我にありと思い込んでいた可能性が高い。
木村さんをネット上で「こんな凶暴な子イヤだ~」と批判した人は、激怒して帽子をはね飛ばすような「凶暴」なことをするのは“悪”であり、それを批判する自分のほうが正しいと思っていたはずだ。

 もちろん、試合用のコスチュームが木村さんにとってどれほど大切だったか、どれほど思い入れの深いものだったかに想像力を働かせることができない。
また、量産されて、どこでも売っているものではないだろうから、高額の可能性もあるが、そういうことも考えられない。
さらに、仲のいいところよりも言い合いの場面のほうが番組で流されること、あるいは過剰気味に反応したほうが制作者も喜ぶし視聴者の受けもいいことを経験的に学習して、木村さんが過剰反応した可能性もあるが、そういうことにも思いが及ばない。

 とにかく、相手が間違っているのだから、それを誹謗中傷する自分は正しいと確信している。こういうタイプが振りかざす正義の根底には、ドイツの哲学者、ニーチェが見抜いているように、しばしば“ルサンチマン”が潜んでいる(『道徳の系譜学』)。

“ルサンチマン”は、恨みという意味のフランス語である。うまくいかない自分の人生に怒りと不満を抱き、マグマのような恨みをため込んでいるので、それが何かのきっかけで噴出すると、すさまじい勢いになる。

しかも、この“ルサンチマン”は、2)羨望、つまり他人の幸福が我慢できない怒りと密接に結びついている。木村さんのように表舞台に出て、脚光を浴びている人は、大衆にとって羨望の対象である。

 だが、羨望のような陰湿な感情が自身の心の奥底にあることを認めたくない。第一、木村さんをうらやましいと思う気持ちを認めることは、自分のほうが劣っていると白状するようなものだから、決して認めない。
とにかく、相手を自分より一段劣った地位にとどめておこうとして、あら探しをする。そのための格好の材料が、「コスチューム事件」だったのではないか。
https://biz-journal.jp/2020/05/post_159023.html