82年の長崎さんは5月23日中日戦でお釣りなしの逆転満塁サヨナラホームランを放つなど打ちまくり、打率.351のハイアベレージで首位打者に輝いた。79年のF・ミヤーンに続く球団2人目の栄冠である。しかしこれには、シーズン最終戦となった大洋-中日戦を長崎さんが欠場し、打率1厘差に迫る中日の田尾安志を5連続敬遠したという側面がある。しかもこの試合、中日が勝つか引き分けで中日優勝、負ければ巨人優勝となる大一番だったことで、大洋が勝ちよりも長崎さんのタイトルを優先し、相手の一番打者を全打席出塁させたことに批判の声が多く挙がったのだ。

「あの件では嫌な思いもしたけど、オフの表彰式で王貞治さんに田尾君と2人で呼ばれてこう言われたんです。“田尾君が長崎君に勝つには、最後の大洋戦の前に抜かないといけなかった。だから長崎君はタイトルを誇っていいんだ”って。これですっきりしましたね。田尾君も納得していたし、その後阪神で同僚になる訳ですが、わだかまりもなく普通に麻雀していましたから(笑)。あと、あの試合前に中日の黒江透修コーチに呼ばれて冗談交じりに“首位打者はお前にやるから田尾を歩かせてくれよ”と耳打ちされた。その時は自軍の選手がタイトルを獲れるかどうかの瀬戸際に何を言うのかと不思議だったけど、後に阪神で優勝を経験して黒江さんの真意がようやく分かったんです。個人記録は二の次で、あくまで優勝するのが一番なんだと。当時の僕にはその価値が理解できなかった」

 すでに5位が決定している状況からすれば、せめて個人タイトルだけでも、と手が届きかけている選手をアシストするのは自然な流れである。そして、当時の大洋は毎年Bクラスが定位置だった。そういうことなのだ。

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