大会前に突然死、3年生部員が残した「鬼メンタ」でピンチ乗り切る…愛工大名電

瀬戸さんのユニホームを持って応援するマネジャーの吉田さん=日下翔己撮影

 夏の甲子園大会で1回戦を突破した愛工大名電(愛知)は今夏、急逝した3年生部員、瀬戸勝登(しょうと)さんを思い、戦っている。
選手は友をしのんで天を見上げ、応援団は名前をもとにした「勝ち登れ」と記したタオルなどを掲げて後押し。気持ちを一つに頂点に向かう。


 瀬戸さんは小学1年の頃に野球を始め、投手や内野手で活躍。中学時代からチームメートの市橋昂士二塁手は「明るい性格で、チームの中心だった」という。

 愛工大名電に進学し、今春の東海大会では外野手で背番号20を勝ち取った。しかし、6月、自宅で倒れているのが見つかり亡くなった
心不全による突然の死だった。

 3年生が集まったミーティングでは全員が泣いて落ち込んだ。それでも、「あいつのためにも甲子園に行こう」と市橋選手の発案で
瀬戸さんの写真をみんなで持つことを決めた。写真の裏には、瀬戸さんが練習をやり抜くためによく口にした、
「ここで辞めないで鬼のメンタルでやりきる」という言葉から「鬼メンタ」と書いた。

 それぞれが帽子のつばに「勝登と共に」と書き込むなどし、愛知大会ではピンチの時に見て瀬戸さんを思った。
優勝後、選手たちは自宅を訪れ、「甲子園を決めてきたぞ」と報告。遺影にメダルをかけた。

 7日にあった甲子園初戦の星稜(石川)戦でも、選手はポケットに入れた写真に触れ、打席で空を仰いだ。
スタンドでは控え部員らが「勝ち登れ」と記したそろいのシャツを着て、同じ言葉の入ったタオルを掲げた。
マネジャーの吉田紗穂さん(3年)は瀬戸さんのユニホームを手に応援した。

 スタンドで試合を見守った父の洋介さん(48)は「みんなの心の中に勝登がいると感じ、うれしかった。
一日でも長く勝登と野球をしてほしい」と話した。2打点を挙げた市橋選手は「2人の夢の舞台、甲子園での1勝はうれしかった。
勝登を試合でも思い出して力に変えた」。12日の八戸学院光星(青森)戦も、友を思い、戦うつもりだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/979ea953a2d9688e168f72a28b49fd854cbdb9c4