ワイ氏、あの世(天国)について考えすぎて寝れなくなる
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
最初に天国の簡単な定義を考えたんや
①死後に行ける場所(世界)として存在している
②極楽浄土だったりユートピアだったり、とりあえず死んでも気持ちいい状態で存在できる
③生前に善行とか積まないと天国に行けない
で、最初はよくある「天国は存在するんか?」っていうから出発しようとしたけど
よくよく考えたら存在の有無よりも
②の要素について「自分が死んだ時、仮に天国いける条件を満たせていても、ちゃんと天国は機能してるんか?」って ハイパーバースって考えに到達してワイはその辺はある程度解決したで いわゆるキリスト教の聖書とかで天国のついて述べられてから
もう何千年レベルで経過してるわけやん?
でもその間、ワイらは天国の状態変化を観測出来てないわけやん
つまり、「天国は大昔は楽園だったけど、今は悲惨」っていう可能性が出てくるやん?
それは嫌やなーって思って解決策を考えようとしたんや 最初は「天国は不変であり、創成から何一つ変わらない」っていう条件を付けようと思ったんや
これなら天国の機能は保証されるし、安心やで
でもこれやと困った事が起きるんや
仮にこの条件で天国があったとするで?
人間歴史上、数えきれないほどの人間が死んでるし、その中で何人かは天国に行ってるとするやん?
そういう人たちが天国に行っても、天国側に変化が現れないっていう保証が無いなって思ったんや
それどころか、一番簡単に不変性を担保するなら
「人間は死後、誰一人として天国にはいけない」方が自然って思っちゃんや
ようは存在はしてるけど、誰一人として入れない、だから天国は変わらない
っていう、人間にとっては酷い話になってもうたんや 他にも可能性があって
「天国には行けるけど、天国に影響を与えないように、魂としての存在を改変される」っていうや
ようは天国に入った瞬間、生前の善行とか性格、体格とかも無くなって
ある種、『無』になってから天国に入るっていうパターンや
でもこれも酷い話やないか?
必至こいて善行詰んで天国行っても、入るためには自己の存在に関わる部分を全部消さないとダメって
それって天国に行くときにもう一回殺されてるようなもんやんけっていう
だからこれもアカンなって思ったわけや ワイは死んだら無だと思ってるけど天国と地獄があっても行くのは大体地獄やろうから気にするな で、ここで何が問題かって思ったら、暗黙の前提として
「天国は全ての人間に対して、共通に存在している」っていう風に想定してる事に気づいたんや
だからここの定義を変えて
「天国とは死んだ各人に対して、それぞれ個別に与えられる」っていう風に想定してみたんや
これならつまり天国は不変ではなく、むしろ可変であり
お互いに影響を及ぼさない独立した関係なんや!って思いついたわけや!
でもこれにも問題があったんや 天国に期待してる事に「あの世で死者と交流できる」って言うのもあるやん?
ようは死んだじーちゃん、ばーちゃん、父ちゃん、母ちゃん、恋人、恩人、etc……
そういう人たちも天国にいて見守ってくれてる~っていうのはよくある期待やん?
仮に天国が独立して存在しているとして、死んだ時に上記の人たちに合えたとするやん?
そこには、当人達の魂が存在してるんか?
本人の都合の良い反応をしてくれる、一種のロボットやないんか?って
理想の天国が都度創成されるなら、その人たちも含めて創成される可能性に気づいてもうたんや 死と死後の世界について宗教が語るのはその魂の救済なわけで
その物語の解釈は人によって千差万別なわけや
死自体は経験することが出来ないし各人が抱くイメージは内在的な臆見だけど確実に訪れるわけや ロマン無いけど空想上のものやと思っとるわ
やっぱり死んで行き着く先は無やと思う、脳が機能停止して自我と意識がどう残るとか想像つかん っていう所まで考えてスレ立てたわけや
ホンマに天国あるのか心配になってきたわ 冷静に考えてそんな非科学的なものあるわけないやろ
生前何をやろうが死んだら夢幻の無がひろがってるんや
何も感じない存在しない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています