高嶋は実はその年の1月、田中攻略法を探りに北海道を訪れている。すると、札幌のあるチームの監督に「待つ」と言われた。高嶋は最初、スライダーを引き付けて打つという意味だと解釈した。しかし、違った。

「田中が卒業するのを待つっちゅうねん。何してもあかん、と。バントやら何やら、いろいろ試して、そういう結論にいたったんやと思う。でも、今思うと、それも作戦やな。無駄なことはせんという」

 だが、高嶋の中には、そもそもそのような発想はなかった。

 田中同様、「消える」と言われるスライダーで、'12年夏、甲子園を席巻した投手に桐光学園の松井裕樹(楽天)がいる。横浜は翌年夏、神奈川大会で、松井のスライダーを捨て、真っすぐだけを待つことで攻略した。高嶋は自省を込めて言う。

 「横浜は、賢い。でも俺はちゃう。いちばんいいボールを打ちたい。そら、マシンと人は違いますよ。でも、せんより、いいでしょう。ただ、やることやったけど、どうしようもなかった。北海道の人が待つって言ったのは、その答えやったと思う」

 この年、田中の「世代最強」たるゆえんをもっとも味わったのが智辯和歌山だった。

 廣井は、今の田中について、ほんの少しだけさみしそうにこう語った。

「ヤンキースに入ってからは、スプリットばっかりですよね。あのスライダー、どこにいったんですかね」

https://number.bunshun.jp/articles/-/853978?page=5


 高嶋は2006年真っ向からマー君のスライダー攻略しようとしてたのすき。