【朗報】下関国際の野球部員1人伝説ガチだった、後輩からは「レジェンド」と慕われる
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【甲子園】下関国際、2005年たった1人の“レジェンド部員”も観戦「辞めていたらと思うと感慨深い」
現在は広島で造船関連の会社に勤める新谷さん。この日、甲子園に着くと後輩OBから「レジェンド」と呼ばれた。「照れくさかった。でも、あの冬、僕が辞めていたら、この決勝もない。そう思うと感慨深い」と少し胸を張った。
https://hochi.news/articles/20220822-OHT1T51264.html この人いなくなれば野球部再起不能もありえたわけやからな
レジェンド扱いされるわ この人も監督も数ヶ月とはいえ部員一人でよう続けたな ソースよく読んだらそもそも部員一人になったの監督のせいじゃねーか こんなこと言っちゃアレやけどこのご時世の中ちゃんとした仕事持ってる人でよかったな 15人が辞めていった中でたったひとり残って監督とマンツーマンで練習の日々を続けるってそりゃレジェンド扱いも妥当やな
頭おかしくなるで 監督もヘルペスできてて草
どんだけ追い込んでんだよ >>16
凄まじい精神力やなそらレジェンド言われるわ 分散してあれやのに一人であれに耐え続けたのかて驚きやろな 1人だけどよお!!!ビッとやってっからよお!!!いつでも来いこの野郎!!!!! >>17
監督が野球経験ある新入生全員に電話して無理やり入れたって言ってた
プロ入りした奴も中学でファーストの補欠で高校はやる気なかったのに
電話来て説得されて投手になってプロ入った 2005年にこいつが辞めてたとしてもどうせまた再結成してたやろ >>29
造船は高度技術なんだが?お前もう船乗るなよ 今のカキ氷3年間やり通すより難しかったんちゃうかこの人
1人やと試合出れんし目標ないやん 郵船会社って年収くっそもらってるやろな
下手したら2000万超えてそう 自身が入学した08年当時は“弱小時代”。
「山口大会1回戦(の勝利)が、十数年ぶりの1勝とかだった」
と懐かしんだ。1年の夏が終わると、正規部員5人でオフの練習に励んだ。最後の夏も3年8人、2年2人、1年3人。
入学前の05年に部員が1人だった時期も知っており「そこから築き上げてきたものなので、本当に感動する」と目頭を熱くした。
宮崎さんは同高卒業後、坂原監督と同じ広島国際学院大へ進学した。
14年にドラフト6位でプロ入りを連絡した時に、指揮官は「次は甲子園」と約束。
宣言通り、3年後の17年夏に初出場を決めた。「こうやって決勝までいくチームになり、本当に素晴らしい」と恩師の指導力に敬意。
毎年母校を訪問し「いい選手が多い」と強豪校に成長した姿を頼もしく見ている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/da37de15e1b2fd51663f1a7ab38b8c35ce777fdb 新谷さんは05年4月に入学。同年8月に就任した坂原監督の厳しい指導で、16人いた部員が冬には1人となった。
坂原、お前と野球やるの息苦しいよ 1回無くなるとまたそこから作らないといけないし今年の快進撃が来年になってた可能性もあるからな >>44
そりゃそうやろ数年前までほとんど部員いなかった部をうちは許さんぞ監督が来て急に盛り返したんだから 就職どころか進学実績も野球部が稼いでるのホンマ草生える この人1年近くやば監督と二人で練習してたんやろ
そら部員からしたらレジェンドや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています